父の最後の日…そして母は…

ひとり親家庭 補助 備忘録

1995年夏のお話

こんにちわ

TAKUです。

昨日Twitterを見てたら、愛する旦那さんが亡くなったばかりの方が投稿をしていて、その亡くなり方が僕の父とあまりにも似ていたので、なんだか思い出してしまいました。

もう24年も前の話なのに、一回記憶を辿りだすとすごく鮮明に残っているものです。

僕なんかは離婚をした上でのひとり親だけども、母は死別によるひとり親でして、多分死別による方が精神的にきついだろうなと…

なんでもそうですが、「残す」より「残される」の方がつらいですもんね。

父が亡くなった後は、母の手一人でアルバイトをしながら10年以上育ててもらって、今ではその育ててもらった子供が孫を連れて一緒に住んでる…

初めは親不孝と思ってたけど、今では発想を変えて、孫と一緒に生活できる幸せばあちゃんにしてやろうと思っています(; ・`ω・´)

そんな母を変えた日が…父の最後の日です。

癌が見つかる

小学生4年生の時に家に帰ると、夕方なのになんか暗いな…

お母さんはどこにいるんだろうって言う場面を覚えております。

鍵は開いてるのに部屋の中は真っ暗… 若干夕日が差し込んでいて、母はテーブルの前にうなだれるように座っていました。

当時、その理由は何も聞けなかったのと、すぐに祖母がやってきて、ずっと母と話をしていたのを覚えております。

その後、放射線治療に抗がん剤治療…

体中がパンパンに膨らみ、頭の毛は抜け落ち、父の顔や姿は変わっていきましたが、目だけはすごく優しい父のまま変わってなかったです。

この当時は、まだまだみんな幸せな感じはしていました。

父が癌になった当初は、母もしんどそうでしたが、だんだんと慣れてきたようで一般的な明るい闘病生活に戻りつつありました。

闘病2年後 大手術

だんだんと頭の中にある癌細胞が大きくなってきて、会話、記憶、幻想、幻聴、徘徊…

日に日にこれらがひどくなってきて、大きな病院にて開頭手術を行いました。

確か、あの時は8時間ぐらいはかかったんだと思います。

結果、手術はしたものの、余命が伸びただけで、転移がひどくて手が付けれなかったらしいです。

この後は、父がいついなくなるかわからないような日々が続き、この時ぐらいから「貴方は長男だからしっかりしいや」って母によく言われていました。

この時は、まったく意味も分かってなかったですね(;><)

家族の事を忘れる

父が亡くなる半年ほど前ぐらいから、急に病状が悪化して、僕も弟も誰なのかわからないといった感じ、そして、何を食べたのかもわからない、そもそも食べたのかも分からない。

誰だか分からない人にラブレターを書いて、机の引き出しに隠してあったり、その手紙をみたら、すべてひらがなで字の大きさもばらばら。字になってない文字もあったりと、幼稚園児が書くような手紙でした。

それを見た母はそんなことにもみじんも触れずに「お父さんには生きて欲しい」とだけ言ってました。

そして時折、父が徘徊で家からいなくなってみんなで探しに行ったこともありましたし、幻想を語り始めたり…

辛かったけど、お父さんが生きているってことになんとなく安心があった時期でもありました。

最後の日

最後の日を迎える1週間前ぐらいから自分で立ち上がることもできず、手足はやせ細って、寝返りも打てない中、床ずれに肌は乾燥して割れたような皮膚に…

毎日、看護婦さんにも触らせないように、母が父の体を拭いているのを隣で見ていました。

ですが、看護婦さんが全部するからと指摘されたことがあって、母はなんとか頼み込んで最後の日を迎えました。

大きな病院の個室。

もうだめだという時に、熊のような体の大きい担当の先生が来られて、一生懸命心臓マッサージをしてくれたのを鮮明に覚えております。

後に聞いた話ですが、肋骨が何本か折れてたらしいです。

そして、もう旅立つという時に、母が僕に「お父さんの最後の顔ちゃんと見ときなさい」と言い、僕は父の手を握らせてもらいながら、母は父の頭をなでながら父は亡くなりました。

検体

父の癌との闘病生活は、見つかった当初から助からないという診断がされたにもかかわらず、かなり長い時間に渡りました。

そのため、病院側から検体としてというお話を頂いたのですが、母は「あんたがが長男だからあんたが決め」と言われて、僕は母に検体にしていいと思うと伝えました。

今だから思いますが、母は決められなかったのかもしれないですね。

今更聞こうとは思いませんが、本当は検体にしてほしくなかったのかもしれないです。

火葬

検体から帰ってきた父…

早めに葬儀場に入って、家族3人で棺に入れられていた父と本当の意味での最後のお別れ…

母は言いました。

「これでお父さんを見れる最後だからしっかり見といて。体の中は綿でもう何もないけど、見てみ…しっかりきれいに縫合してくれて、死に化粧もすごくきれいにしてくれてる」

この瞬間、父が亡くなってからほとんど涙を流さなかった母が大泣きをしていました。

母を絶対に裏切らない

もし僕が母の立場だったら、こんなに強く生きてこれただろうか?とよく考えさせられて、何度考えても「しんどいよな~耐えれる自信が無い」って思います。

父が亡くなる時も、亡くなった後も…すべてを犠牲にして必死で育ててくれた母…

当ブログにもたくさん「母」という字が出てきますが、父が亡くなって以降ずっとある思いを抱いております。

ここまでしてくれた母を絶対に裏切らない!裏切りたくない!

まぁ、きちんと伝えたこともないですが、僕の中ではいろんな意味でしっかり育ててくれた人なので、これからも大切にしていきたいなと考えています。

居候の分際で、どの口が言うねん?!!って怒られそうですが…(*^^)v

ですのでマザコンではありません(^-^;

ブログにこういうことを書き残すっていうのもどうかな~って思いましたが、今はコロナで時間にも余裕があるので、どうなるか分からないですが書いてみました。

書き終わって思うことは、母に恩返しをしつつ、母から受けてきたことをそのまま子供たちにしてあげないといけないなっていう事…

親と子は本来切っても切れない関係ですし…

ありがとうございました。

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